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河原崎長十郎さんと山岸しづ江さんの結婚式ニュース映像

 投稿者:アノネのオッサン  投稿日:2016年10月13日(木)12時22分14秒
  TV「徹子の部屋」の10月5日(水)のゲストは、河原崎建三 大川栄子 ご夫婦でした。番組の中で、河原崎建三さんの御両親、河原崎長十郎さんと山岸しづ江さんの1936年の結婚式を伝えるニュース映像が残っていたと言うので披露されました。数十秒ほどの短い動画でしたが、山中貞雄も出席している可能性が高いので眼を凝らして見ましたが、確認できませんでした。有名人らしき方々は多くみられましたが、私には誰だか見分けられませんで、歌舞伎関係の方が多いよう見受けました。  
 

バカチョン谷垣発言取り消すな

 投稿者:バカチョン  投稿日:2016年 4月15日(金)17時12分6秒
  やめろ  

古い日本映画の発掘の件

 投稿者:ロバート・ホスキン  投稿日:2016年 3月 7日(月)22時56分0秒
  アノネのオッサン、ありがとうございます。また、この次作品の映画の4目をお待ちください。  

阪東妻三郎?

 投稿者:アノネのオッサン  投稿日:2016年 2月26日(金)12時56分43秒
  ロバート・ホスキン様
古い日本映画の発掘ありがとうございました。
主役は阪東妻三郎との表記がありますが、違うような気がします。その他の俳優についても特定できず、おそらく当時のバンツマ人気にあやかった、阪東妻三郎風のメイクアップと衣装をしたマイナーな映画ではないでしょうか? このころは、吾妻三郎という人もおりました。ともあれ90年も前の映画が再生可能な状態で保存され未だに発見されるとは貴重です。フィルムのエッジコードで製作年を推定されるというのは初めて知りました。
 

矢われた日本の映画が発見された!この3目。

 投稿者:ロバート・ホスキン  投稿日:2016年 2月17日(水)17時48分12秒
  今の新しい映画ニュースあります。また、日本の最古い35ミリフィルムが発見されたました。それは長い98フィートの未知のフィルムである。映画の分野は時代劇です。見つかったフィルムの時間は94秒間版だけです。作り年は大正15年 (1926年) に思う。今、この映画を見るください。
http://youtu.be/ND2sXr9E8jg
当映画作品の内について、これらの日本人俳優をご確認ください。認識された場合、ここに自分の名前を記入してください。よろしくお願いします。

https://youtu.be/ND2sXr9E8jg

 

『映画探偵:失われた戦前日本映画を捜して』

 投稿者:源三郎  投稿日:2015年12月13日(日)18時33分14秒
  ここでずっと情報交換されていた話を、総括するような本が出ましたね。
『忠治旅日記』再発見以降のさまざまなフィルム発掘話を
わかりやすくひとまとめにされていて、とても面白く読みました。

それにしても、冒頭で、フィルムセンターへのフィルム寄贈が
とてつもないことになっているとあって、驚きました。
フィルムでの管理を放棄する制作会社が多いんですね。

可能性は少しずつ薄くなっているのかもしれませんが、
でも、失われたはずの傑作が再び我々の目の前に現れる奇跡を
願って止みません。
「映画探偵」には、まだまだ活躍していただかないと。
 

最後の出演者

 投稿者:アノネのオッサン  投稿日:2015年11月26日(木)18時49分41秒
  皆さまも、御存じのように原節子さんはデビュー直後に、山中貞雄監督の『河内山宗俊』に出演されていました。おそらく原さんが、山中映画に出演された経験のある俳優の最後の生存者だったと思います。
慎んで御冥福をお祈りします。
 

ついに

 投稿者:源三郎  投稿日:2015年11月25日(水)23時25分6秒
  原節子さんが9月5日に亡くなられていたことが発表されました。
戦前から戦後全盛期の日本映画の巨星が、ついに天に昇られてしまいました。

どれだけ多くの傑作で、原さんを観てきたことか!
本当に、楽しませていただきました。
きっと今頃は、小津・山中・成瀬・黒澤といった巨匠たちと、
久しぶりに映画を撮ろうと、楽しく話されているのでしょうね。


引退された後に生まれた私でも魅了された、女優・原節子さんに、
心より「ありがとうございました」と申し上げると共に、
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
 

80代の映画少年

 投稿者:アノネのオッサン  投稿日:2015年10月24日(土)06時54分5秒
編集済
  今日10/24(土)の日本経済新聞・朝刊 文化欄の交友抄に、洋画家・藪野健氏が「80代の映画少年」と題して、日本芸術院会員である日本画家・松尾敏男さんと山田洋次監督との交友を書かれております。
それに依りますと、松尾敏男さんは日本映画に極めて詳しく「山中貞雄監督については、松尾さんの独擅場だ。現存する3作品以外の作品を微に入り細をうがち鮮やかに甦らせ、つい聞き入ってしまう。」とあります。今年、89歳の松尾敏男さんは藤浦敦監督と同様に山中貞雄の幻の映画見ることが出来た最後の世代なのでしょう。もし映画関係者が松尾敏男さんに映画に関して取材されておらなければ、今のうちに訊いておくべきでしょう。
 

レンタル?16㎜映画

 投稿者:アノネのオッサン  投稿日:2015年10月 3日(土)07時50分52秒
  松之助の「忠臣蔵」の件、私には詳細は判りません。
以前、発見された伊藤大輔監督の「斬人斬馬剣」は、パテベービー版の一部で、未だ残りがあるらしいです。
9.5mmのパテベービー以外にも、小さい映画館や田舎の公民館で上映するための16㎜にダウンサイズした映画もあったようです。国木田監督の「忠僕直助」や丸根賛太郎監督の「春秋一刀流」16㎜でほぼ完全な形でコレクター宅に残っていたモノです。
以前、年配の方に聞いた話なのですが、終戦直後、日本の映画会社は16㎜版にした人気の映画をレンタルしていたそうで、それを借りて映画館の無い奥多摩の山奥の公民館で「狐の呉れた赤ん坊」や「月よりの使者」を上映して金もうけが出来たそうです。そんな制度が戦前にもあったのかもしれません。
 

(無題)

 投稿者:源三郎  投稿日:2015年 9月22日(火)21時12分33秒
  アノネのオッサン 様

京都国際映画祭のサイトを見ると、今回の「全長版」は上映時間66分とあり、
日活のHPに掲載されている『実録忠臣蔵 天の巻 地の巻』の解説では、20巻・196分(オリジナル?)とあります。

ということは、パテベビー版はあくまでもダイジェスト版で、
その全巻がまとめて見つかった、ということなのでしょうか?

それにしても、リストはあるけど公にならない、というのも、
形は違えど、戦前のフィルムの扱われ方とあんまり変わっていないな、という思いがします。

山中・伊藤・伊丹・稲垣作品(いくつか発見されてはいますが)あたりが
どの程度9.5㎜になったのか、知りたいものですね。
 

パテ・ベビー

 投稿者:アノネのオッサン  投稿日:2015年 9月22日(火)07時42分38秒
  源三郎様

御指摘の件、私も気になったので、映画史研究家に訊いてみた事がありますが、パテ・ベービーで何の映画が販売されたかは概ね補足しているそうです。そのリストを公にしてないのは収集に差し障りがあるからかもしれません。
今回の尾上松之助の「忠臣蔵」で意外だったのは、パテ・ベビーというと短縮ダイジェストされたものとの印象がありましたが、全長版だった事です。
 

パテ・ベビー

 投稿者:源三郎  投稿日:2015年 9月15日(火)00時04分25秒
  アノネのオッサン 様

ご教示いただき、ありがとうございます。

もし、現時点で光明を見出せるのがパテベビーのみ、ということなら、
パテベビー版の制作が、どこで、どんな作品で行われていたのか、
気になるところではありますが、
そのあたりは(たぶん、その当時から)、
深い闇の中なんでしょうね。
本体の映画制作会社の記録され、あやふやな点が多いのですから。

 

パテ・ベビー

 投稿者:アノネのオッサン  投稿日:2015年 9月13日(日)08時06分14秒
  源三郎様

前にもレスしたかもしれませんが、戦前の35㎜映画フィルムは可燃性のセルロイド製でしたが、16ミリと9.5㎜の映画フィルムはセルロイドではない不燃性の材質で出来ていたそうです。それで長期保存がしやすいのでしょう。
 

松之助最晩年の忠臣蔵

 投稿者:源三郎  投稿日:2015年 9月 8日(火)12時39分30秒
  サイレント時代のフィルム発見という話題も枯渇して、
この掲示板も寂しい時間が続いていましたが、
尾上松之助最晩年の「忠臣蔵」のフィルムが発見されたという
嬉しいニュースが聞こえてきました。
期待できるのは、やはりパテ・ベビーだけのようですね。

http://www.asahi.com/articles/ASH914T0ZH91PLZB012.html

失われた作品の発見よりも、
現存するフィルムのデジタル・リマスターやカラー化の方が脚光を浴びていますが、
まだまだ未知の山中作品に出会える確率は、ゼロではないのかもしれません。

 

山中貞雄の写真

 投稿者:アノネのオッサン  投稿日:2015年 1月24日(土)05時55分8秒
  私も初めて見ました。珍しい山中貞雄の写真が、映画説明弁士の片岡一郎さんのFACE-BOOKにアップされていました。「映画ファン」昭和12年9月号に載っていた写真だそうです。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=929086420436925&set=a.216506391694935.66452.100000067286044&type=1&theater
 

矢われた日本映画

 投稿者:アノネのオッサン  投稿日:2014年12月20日(土)11時47分30秒
編集済
  >ロバート・ホスキン様
またフィルムを発見されましたね。こうした古い日本の映画は、玩具フィルムとして断片が見つかる事が多いのですが、これは画質が良く上映用のフィルムの断片ではないかと推測します。ただ何の映画かは私には判りませんが、なんとなく大正時代ではなく昭和に入ってからの作品のような気がします。

>塩せんべい様
荒井良平監督『風雲将棋谷』は戦前の昭和15年に製作されていたのが戦後に総集編として再公開されていたのでした。
http://www.jmdb.ne.jp/1940/bp003380.htm
http://www.jmdb.ne.jp/1940/bp003720.htm
山中貞雄監督の「関の弥太っぺ」も1952年頃の戦後公開された記録があるそうです。

前に紹介したかもしれませんが、溝口健二監督の『唐人お吉』は断片が9.5㎜映画で残っていてYoutubeにアップされています。
https://www.youtube.com/watch?v=G2sNRzLEH8s
これは映画からの抜粋ではなく、主題歌レコードの販売用の映像つまり元祖PVのようです。
 

矢われた日本の映画が発見された!この2目。

 投稿者:ロバート ホスキン  投稿日:2014年12月17日(水)11時12分30秒
  今、また、日本の最古い35ミリフィルムが発見されたました。それは長い93フィートの未知のフィルムである。映画の分野は時代劇です。見つかったフィルムの時間は92秒間版だけです。作り年は大正14年 (1925年) に思う。今、この映画を見るください。
http://youtu.be/OeaQL6tyJIo
当映画作品の内について、これらの日本人俳優をご確認ください。認識された場合、ここに自分の名前を記入してください。よろしくお願いします。
 

怪傑ハヤブサ

 投稿者:塩せんべい  投稿日:2014年12月17日(水)03時40分57秒
  アノネのオッサン様
歴史遺産と考えると一般公開の難しさもわかる気がします。容易に接するものではないのでしょう。
山中貞雄監督が戦場で書き綴った「従軍記」の実物を京都文化博物館の展示にて見たことがあります。そちらは書籍『監督山中貞雄』に複写されていましたが、そのような形ででも、公開される機会を得たいものです。
過去ログで山中貞雄監督生誕100周年のときに映画読本の出版がお蔵入りしたと拝見しました。やはり需要の面でかなわないということもあるのでしょうか。
藤浦監督のような視覚的記憶の能力の高さでいえば、淀川長治氏の仰っていた溝口健二監督の『唐人お吉』のシーンもまるでイメージが浮かんでくるようした。
荒井良平監督『風雲将棋谷』は戦後公開にもかかわらず、いまや幻なのですか。ハヤフサ・ヒデトの戦後作品『怪傑ハヤブサ』も幻の作品なのかと思っていたら、以前フィルムセンターにて発見・公開されていたことがありました。幻となった映画については、本当にミステリーが多いようですね。
 

風雲将棋谷

 投稿者:アノネのオッサン  投稿日:2014年12月14日(日)08時30分4秒
  田中眞澄さんから聞いた『怪盗白頭巾』の記録資料の事ですが、田中さんの古書収集仲間が見つけたものか公の機関に持ち込まれたものなのか、田中さん亡き今は確認しようがありません。
古い資料は、それ自体が歴史遺産であり専門家の研究課題なので、一般への公開が難しいのかもしれません。
それにしても、藤浦敦監督は10代初めの小学生の時に「森の石松」や「国定忠次」を御覧になられているのに細部まで記憶され驚きです。こういう映像分野で活躍出来る方は視覚的な記憶が常人と懸け離れて優れているようです。
ところで、古い映画の事を調べていたら、今や幻となっている荒井良平監督の「風雲将棋谷」が戦後の1950年代に総集編として再公開されている事を知りました。此の映画に出演されていた瀬川路三郎の御子息が必死になって「風雲将棋谷」を捜索したそうですが遂に発見出来なかったというエピソードを作家の色川武大さんが書いてました。公開を終えた後、どこに消えてしまったのでしょうか?
 
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