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2014 晩秋 乱筆 乱文にて候ふ

 投稿者:Twelve Y.O.  投稿日:2014年11月20日(木)20時41分25秒
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  ヒトだけが無益な争いを繰り返す。自らの欲望を満たす為だけに。殺し、奪い、破壊し、あらゆる物を絶滅へと導く。奪われた者達は 其れを望んでも、頼んだ訳でもない。気が付いたら、或る日 其れは消えていた。そして 失ったものを 再び、欲しがり、再生する。其れを何世紀にも渡り、繰り返す人類の愚かさ。
人類は、果てしなく、其の作業を繰り返す。そして、何時の日か それが 出来なくなる日が訪れる。其の☆は無尽蔵にエネルギーを蓄えてるのではない。限られた資源は、何れ、枯渇する。
「再生」は模倣にしか過ぎない。破壊しなければ「再生」する必要もなかった。「劣化」が破壊を手繰り寄せ、「再生」を招いた。然し、期待は脆くも崩れ去る。創造主が優れてたら、其れも期待出来る。然し、其れは「再生」を前提とした「破壊」では無かった。
満たされた者は「愚か」である。愚は罪。罪人には罰が与えられる。無知も又、然り。智慧を獲得する事でしか、「ヒト」は救済されない。

力道山、王貞治、大山倍達 前田日明。伊集院静…等々。彼等は在日の2世や3世である。戦後、日本復興を牽引し貢献した第一級のオピニオンリーダーと謂える。然し、近年。低俗で、野蛮で、下品で帝脳な帝國愛国主義者どもが、狂信。偏狭的反韓・反中思想を掲げ、在韓、在中の無辜の市民を攻撃し始めた。所謂、在日特権を認めないとする「民族差別」。然し、若干、法の不備があるにせよ。些か、行き過ぎの感は否めない。敗戦の日本を経済大国に押し上げた在日の彼等の存在は大きい。彼等に勇気付けられ、鼓舞され、敗戦の時代を駆け抜けて来た人々は決して少なくない筈である。其れを、差し引いてマイノリティーを攻撃するのは、如何なものかとも想えて来る。

其の異様な出で立ちは、敗残兵の亡霊に取り付かれた暴徒にしか、御見受けしない。其の異様さは、怨念の塊と化し、生きとし生けるもの。全てを呪うかの様に、思いの丈を大音響と共に、大地に叩き付けて来る。

ソモソモ、民主主義というモノは、頂戴するモノでは無かった筈!?。ウンコすれば手前で拭くしかなく、外で出される飯に不満があれば、其れ以上の物を手前で作り、召し上がれば済む話。其れを外注委託した結果、様々な利権、利害、汚職、贈賄等々が発生する羽目に為ったと謂える。幾ら、老舗の高級店であろうと、不況の中、生き抜こうとするなら、多少、汚い手段に出る事も否めないだろう。余った飯を後の客に出してみたり、喰い残しの食材を次の客に食わせたりして、あらゆる手段を講じて、生き抜こうとするのが種の本能。勝者が生き残り、敗者はのたれ死ぬ。賞味期限が過ぎようが、其処は長年培った経験を駆使し、調理する。謂わば、其れが今日の日本政府の姿とも謂えそうダ。

ブランド志向の強いニ流3流の貧民は、高級感に弄ばれ、経済至上主義が王道を走り、思想、倫理、哲学等も、店頭に並び、金で買えないものは、この世に何一つ無いと謂う価値観に洗脳され、生きて来た。否、純粋培養されたといった方が正しいのだろうか。

敗戦の焼け野原で自生した精神論は時代と共に消滅し、欧米の価値観が主流と為った。(此れが、或る民族の家族、社会、個人が崩壊する大きな原因とも為っている。)アナログからデジタルへ移行し、衆愚政治が主役となった。無駄な肉を纏い、考える事を止め、汚い、危険、苦しいを敬遠する我等は先人を超える事は困難と為った。然し、贅肉を削ぎ落とし、日々、沈思黙考し、歯を食いしばり、危険を顧みず、感性をを研ぎ澄ます事で、危機管理のスキルは磨かれないと理解しなければ、後は無い。其れ程に、日々、状況は厳しさを増して来ている。そんな時代の中に遭遇していると感じている人が果たして、どれくらい居るのだろう。

其れを当然の事と受け入れ、生きていかなければ、敗戦のトラウマを払拭する事は適わない。時代と共に価値観も多様化し、善悪の区別もあやふやで、どれが絶対とも、謂えなくなった。或る人は子孫に負の代償を背負わせては為らないと謂い、或る人は、馬鹿な大人達の様に為らない様にと、貧しい人や子供達をサポートする。米を主食とする。其れを自産する事は大変な労力を有する。店頭にある物を買えば、済む事である。衣類、食料、電気、水、交通 科学、医学...etc。様々な分野で従事する者が要るからこそ生活が成り立つ。そ~考えれば、生かされているともいえる。だからこそ、一人では生きていけないとも言う。どれだけの人が、今の自分の人生。「勝ち取った」と自負出来るだろうか?。過去・現在・未来は連結し、共鳴しあってる。

顔も知らない、先人が創り上げた社会を出来るだけ壊さず、次の世代に引き継ぐ。其処に、人間としての尊厳、矜持が問われる処なのかとも、想ったりする。

人って死ぬんだよなぁ~。高倉健が死んだ。Twitterやyoutubeで検索かけると、湯水の如く溢れ出る。其の声、姿を眺めてると、何故か泣けて来る。ふと、何故なんだろうと考える。其れは、高倉健は高倉健を極めた人なんだと謂う結論に、直ぐ落ち着く。だから、多くの人の関心を集め、尊敬され、愛されるのだろう。だから、どんなに歳を重ねても格好良いし、ダンディーで在り続けた。

もう、25年も前の事になるのだろうか?。恐らくその辺だろうと想う。腹に強烈な激痛を覚える。其れは二度続いた。切腹の疑似体験!?。戦死した祖父は敵の爆弾の破片が腹部に刺さり、其れが原因で戦死したと訊く。結局、アレが何だったのか。今でも解らないが、強烈な体験として、記憶だけが残った。昭和の偉人ってカテゴリの中に括ってしまえば、三島由紀夫、高倉健は其の中の一人と謂えよう。然し、三島由紀夫は国難に巻き込まれたとしても、若くして自刃して、其の短い生涯を閉じた。然し、高倉健は83年の人生を全うした。そして多くの人生に影響を与え、多くのメッセージを残して、星となった。どちらが正しく、どちらが間違ってるとは一概に判断は付かない。両者共に昭和の巨人である事に疑いの余地は無い。又、国家という同質のカテゴリの中で生きる者同士として、偉大なる先達の死が、自分の身体の血と為り、肉体に解けた事も又、疑う事もないだろう。

テクノロジーの進化は、時として、生きてく事の残酷さを見せ付ける。PCを開けば、半世紀も前の映像を好きな時に好きなだけ、観る事が可能だ。TVでは死去すれば、当然、其の姿は突然消える。然し、ネットの世界では青年から老年。生前の姿を何度でもReplay出来る。其の人への想いが強ければ、受けるダメージも大きい。一度でも其の姿を、間近で拝見してれば、其の死も受け入れる余地も有るだろう。然し、TV、スクリーン等を通してでしか逢えないとなると、悲しみも深い。其の一方で、少子化が進む現代で、手本とする先達らしき人も不在がちな時代の中で育つ現代っ子は、大海原に放り出された難破船の様にも見え、彼等が、どんな大人に為り、どんな社会を構築して行くのだろうとの不安も付き纏う。

残された時間は後30年として、浅学無才の頭で捻り出した応えは、「平和」其れは、「奪わない事」如いては其れが、幸せを齎すのかもしれない。

戦争に由って、其れは生まれないのだろうと。社会的に成功を収め、地位、名誉を戴こうと、其れが平和とも、幸せに直結しないのが複雑怪奇な「人間」という生き物。

在れば、有るだけ欲しがり(有財餓鬼)無ければ、無いで欲しがる(無財餓鬼)立派なお家に住めば、日に日にボケ、隔世の感は否めない。

死は今生の別れ。永遠の袂を分かつものではない。単に肉体が消滅しただけで、魂は永遠に普遍。生前より更に、其の息吹を感じ、意識して生きて行く事が、後を追う者に課せられた責務であり、矜持。

2013年11月3日 文化勲章を授与。其れが、冥府への印籠と為ったのだろうか!?。

劇中、其の殆どを「前科者」を演じた高倉健。過去世、現世、来世で犯すであろう罪過を「前科者」を演じる事でその根を摘んだのだろうか!?。天照大御神を始祖に戴く天皇から文化勲章を頂いた高倉健は「神」に為った。

伊集院静著「羊の目」侠客・神崎武美の晩年を、高倉健がどう演じるのか。是非観たかった。

残念 そして 有難う 健さん


田中裕子 此れだけは、書き落とせない。昭和30年 1955年4月29日生まれ 昭和天皇・裕仁も、其の日に生まれる。生きてれば114歳。

劇中、高倉健の妻を演じ、改めて、其の御尊顔を拝見すると、「慈母」 慈悲深き仏の様な御顔をしてる。

其れは、他のどれにも属せず、比較する人もいない。観てるだけで、暫し、不思議な安堵を与えてくれる。そして昭和天皇と誕生日が同日なのも、後で知る。

比叡山の大阿闍梨(酒井雄哉)と親交を深めた事からも、矢張り、この男。只者ではないと推測する。

然し、このタイミングでの敬愛する偉大な役者の死は、今までの自らの歩み、来し方行く末を弥が上にも考えさせる大きな出来事(事件)然し、様々な人生模様がある中で、「高倉健」に魂を

揺さぶられるのは、矢張り、俺は修羅なのかと自問。
 
 
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