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 信じる者は救われる 俺、宮本武蔵に為る~♪ 独行道「琉球篇)

 投稿者:Twelve Y.O.  投稿日:2016年 2月21日(日)02時17分31秒
  通報 編集済
  も~少し、歳を重ねてから書くつもりで居たが、退路を絶つ意志表明を、此処いら辺で、するべきかとも想う。

想えば、母が第三子を堕胎し、程なく、俺は其の堕胎した胎児の霊障に苦しめられる。(アレから、凡そ 半世紀が経過) 其の時、16,17歳。中学3年の頃には、既に、向学心もすっかり失せていた。高校進学等果たせる筈もなかったものの、その時の、高校の面接官が、空手部の顧問。今にして想えば、何を云ったのかは、定かではないが、旨い事、その、空手部の顧問をからかった事で、無事、其の私学に入学を果たした。とは云うものの、学校の授業に興味はなく、空手の稽古だけ没頭。後は、ひたすら、机に頬を付け、一年の大半を、学校の机を枕に寝て過ごす。

一年後、見事、留年決定。歳下と、机並べる嫌悪感から、円満退学。その間にも、水子の霊障に苛まれ、精神&情緒不安定な日々。そんな俺を、見かねた親父殿の案内で、其の頃、愛知県豊橋市で電気業で日々凌ぎ、独り暮らししてた親戚を頼りに上京。以下省略。

あっという間に、30年の月日は流れ、2010年○月○日、南行徳駅前から、チャリに跨り、アジトに向かう途中、駅前の交差点で、クリーニング屋の業務車両に轢かれ、4箇所の骨折、重篤。即入院。翌年、父は80年の人生に幕を閉じる。

17の春、切っ掛けは、母が堕胎した第三子だった。17で上京し、東京、大阪、神戸、名古屋、広島、千葉を転々としてる間に、あっという間の30数余年。上京から数年後、水子供養を施し、俺的には、其の件に、決着を付けてからの、俺の本州放浪行脚。その間、奇妙な体験が少なからず、有った。

上京から1,2年後、隣の豊川市のスズキ自動車のバイク工場で「季節」として入社。即、入寮。最初の奇妙な体験、釈尊からの佛勅やら、アドルフの登場、(独逸語で何やら、呟いた様だが、当然、解る筈も無い) Mas大山の訪問、等々、奇妙な夢を数々見たり。

二度に渡る、強烈な腹痛。(ソレは、沖縄戦で、敵の爆弾の破片が身体を直撃し、其れが、原因で戦死した祖父の実体験が影響してるのかは、定かではない)その後、名古屋を後にし、帝都に着く。足立区に定住し、其処で、務めていた上司の御高配に由って、何とか、自動二輪車免許取得。何を血迷ったのか。その後、何度と無く、横須賀の霊能者(三島之命から言霊を授かる)の許を頻繁に、尋ねる様に為る。其の内の1回は「MISHIMA」だったのかも、解らない。
バイク免許取得後、バイク便のバイトも経験。勤務中の後方確認を怠り、後続のバイクと接触事故。その後、スピード違反等で、数々の違反切符を切られ、ん~万円の反則金を払えず、人生最初(最後?!)の年末年始。X masと正月を、小菅の檻の中で、過ごす事に為る。

気が付けば、人生80年として、とうに折り返し地点を過ぎたのに気が付くも、時、既に遅く。50の大台を迎える。

尼崎 1998

其の頃の生活は、寮生活といえども、楽とい得るほどのモノとは云い難かった。雨露は凌げても、仕事量は激減。会社に借金。懐に有る僅かな軍資金で、大阪難波の場外へ。

大き目の喫茶店?。馬券を握り締めた薄幸のギャラリー達で、店内は満席状態。「さ~♪ ゲートが上がりました。各馬 一斉にスタートです。」

店内の放送で、超満馬券~? Getを知る!!。

1998/03/29 3回2日目 第46回 日経賞(GⅡ)サラ系4歳以上オープン    軍資金 ¥1,000 馬連 1-8の2点買い!


単勝 1 35,570 12
複勝 1
8
6 4,700
650
130 12
7
1
枠連 1 - 6 59,000 31
馬連 1 - 8 213,370 61








其の軍資金を基に、帰郷してれば、その後の人生も、違ったモノに為っていたに違いない。

1997年7月, 沖縄県・名護市・辺野古に、アメリカ軍・普天間基地の機能を移転する計画 が持ち上がった。

その後も、職を転々とし、建設現場を渡り歩いてる間に、気が付けば、其の業界が長く為ってしまった。

更に、月日は流れ、2011年3月11日当日 千葉県習志野の現場は、老人ホーム。

昼を過ぎ、午後2時を過ぎた頃、突然、画面が、大地が縦に、横にと、大揺れに揺れる×2。其の頃を境に、実家から、頻繁に電話が入る。母曰く。「何時までも、其処で生活するつもり?!」 原発震災を境に、資格取得者を優先的に現場に送る会社。無資格の俺は、当然、現場から遠のき、仕事を干される日々。自宅待機が続き、TVは時々刻々と、原発の惨状を伝え、事態の長期化を懸念した俺は、此れを機に、故郷へ帰る事を決心。2011年4月。

其れから、更に2年が経過。国際通りを抜け、チャリで、坂道を疾走。前車の軽貨物車と接触。鎖骨骨折したのが、お盆の日。二回目の骨折。市川での事故と牧志の事故で、耳鳴りと、鎖骨骨折で埋めたプレートで、多少の不具合(後遺症)が残る中で、今日に至る。

取り合えず、何とか生きている次第。

齢52 2045年までの命で良い。 其れでも、十分過ぎる位だ。道の師と仰ぐ、大山倍達が、師と仰いだ宮本武蔵。武蔵の域に遠く及ばないまでも、独り道を彷徨い、求める事は許される。「我 事に措いて 後悔せず」 悔い無きモノにすべく 日々、懺悔しよう。

戒明が、空海に求聞持法を伝えた様に、祭温が清国で、「湖広の者」と名乗る隠者に「陽明学」を授けられた様に、其の名を、歴史に留めない者として、晩節を過ごそう。
康熙47年(1708年)。其の頃の清国は、その様な隠者が少なくなかった時代背景があった。空海が、正規の遣唐使の留学僧として唐に、渡ったのは、延暦23年(804年) 祭温は学を深める為に、空海は修行の為に、大国に渡った。祭温が清の福州へ赴任してから308年。空海が入唐してから1212年。人類は大いに進歩し、メールで、瞬時に会話し、PCで、いち早く、情報をキャッチする。その結果、真実と事実、嘘が混合し、攪拌され、嘘と本物の区別が付き難い世の中に為った。PC一つで、世界を混乱に貶める事も、希望へも、導けるのだから、何も今更、「留学」と称して、外国に往く迄も無くなった。便利に為った分、ヒトは何もしなくなった。

自らの存在理由を問う為にも、釈尊から指名された者の矜持の下、「足跡」を遺すべきなのだろう。名も無き者としての決着。何時の頃からか、この苦しみから逃れたいとの想いがある。人は輪廻し、転生を繰り返す。其の最終章を、この島で迎えるのだろうか。当分、脱出は出来ないものか?。大量殺戮破壊兵器の最前線基地が在る島は、何もかもが面倒で、弥が上にも、現実を直視しなければならない。目を背けても、火薬の匂いが、鼻に纏わり付き、鼻を摘んでも、爆撃機の爆音が鼓膜を直撃する。

少なくとも、其の島の未来へ、「平和」に、「社会」に貢献すれば、最終解脱へ、一歩前進するかもしれず。遣らずに後悔するくらいなら、やって後悔する方が、マダ 救われる余地も在る?。

信じる者だけが救われる。信ずる者だけが歩む道が在る。独り、其の道を行く。



※戒明(かいみょう)大安寺僧 入唐留学僧

 求聞持法を空海に伝えた一沙門。戒明は空海と同じ讃岐の出身で、その後空海が重要視した『釈摩訶衍論』の請来者

若くして大安寺慶俊に師事して華厳を修める。

琉專卑語

本文を書く前後、Marie (喜屋武マリー)のページを久し振りに覗いてみた。 真実の叫び MARIE自伝

何故か、タマが「CONDITION GREEN」にイレギュラーバウンド

川満勝弘(71)2/2 手術を終え、車椅子を押す姿は好々爺然とした風貌。往年の面影も無い。かっちゃん&Condition Green

時は流れるのではない 時は積み重なるのだという事を、肝に染みてぃ


過ぎ行く幻 怒りは鼓動に 遥か彼方に 時は流れて 消えてく 闇の狭間に 微かな月明かり
                                                                                            Marie's Band - Feel the Wind  
 
 
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