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「三島 由紀夫の遺言」

 投稿者:Twelve Y.O.  投稿日:2016年 2月11日(木)19時24分8秒
  通報 編集済
  ----ただ文化を守れということでは非常にわかりにくい。文化、文化というと、それがお前自身の金儲けにつながっているからだろうーといわれるかもしれない。文化とは特殊な才能を持った人間が特殊な文化を作り出しているのだから、われわれには関係がない。必要があれば金で買えばいい、守る必要なんかないーと考える者もいるだろう。しかし、文化とはそういうものではない。昔流に表現すれば、一人一人の心の中にある 日本精神を守るということだ。
しかし、その純粋な日本精神は、目に見えないものであり、形として示すことができないので、これを守れと言っても非常にむずかしい。だから私は、文化というものを、そのようには考えない。文化は目に見える、形になった結果 から判断していいのではないかと思う。したがって日本精神というものを知るためには、目に見えない、形のない古くさいものとかんがえずに、形のあるあるもの、目にふれるもので、日本の精神の現れであると思えるものを並べてみろ、そしてそれを端から端まで目を通してみろ、そうすれば自ら明らかとなる。したがって日本精神というものを知るためには、目に見えない、形のない古くさいものと考えずに、形のあるもの、目に触れるもので、日本の精神の現れであると思えるものを並べてみろ、そしてそれを端から端まで目を通してみろ、そうすれば自ら明らかとなる。そしてそれをどうしたら守れるか、どうやって守ればいいかを考えろ、というのである。そしてそれをどうしたら守れるか、どうやって守 ればいいかを考えろ、というのである。歌舞伎、文楽なら守ってもいいが、サイケデリックや”おらは死んじまっただ”などという頽廃的(たいはい)な文化は弾圧しなければならないーというのは政治家の考えることだ。私はそうは考えない。
古いもの必ずしも良いものではなく、新しいもの必ずしも良いものではない。江戸末期の歌舞伎狂言などには、現代よりもっと頽廃的なものがたくさんある。それらをひっくるめたものが日本的であり、日本人の特性がよく表れているのである。日本精神というものの基準はここにある。しかしこれから外れたものは違うんだという基準はない。良いも悪いも、あるいは古かろうが新しかろうが、そこに現れているものが日本精神なのである。日本精神というものの規準 はここにある。しかいこれから外れたものは違うんだという規準はない。良いも悪いも、あるいは古かろうが新いかろうが、そこに現れているものが日本精神なのである。したがってどんなに文化と関係ないと思っている人でも、文化と関係のない人間はいない。歌謡曲であれ浪花節であれ、それらが頽廃的であっても、そこには日本人の魂が入っているのである。この文化論から出発して、”何を守るか”ということを考えなければならない。
 私はどうしても第一に、天皇陛下のことを考える。 天皇陛下のことを言うと、すぐ右翼だとか何だとか言う人が多いが、憲法第一条に掲げてありながら、なぜ天皇のことを云々してはいけないのかと反論したい。天皇を政治権力とくっつけたところに弊害があったのであるが、それも形として政治権力とくっつけたことは過去の歴史の中で何度かあった。しかし、天皇が独裁者であったことは一度もないのである。それをどうして、われわれは陛下を守ってはいけないのか、陛下に忠誠誓ってはいけないのか、私にはその点がどうしても理解できない。ところが陛下に忠誠をつくすことが、民主主義を裏切り、われわれ国民が主権をもっている国家を裏切るのだという左翼的な考えの人が多い。しかし天皇は日本の象徴であり、われわれ日本人の歴史、太古から連続し てきている文化の象徴である。そういうものに忠誠をつくすことと同意のものであると私は考えている。なぜなら、日本文化の歴史性、統一性、全体性の象徴であり、体現者であられるのが天皇なのである。日本文化を守ることは、天皇を守ることに帰着するのであるが、この文化の全体性をのこりなく救出し、政治的偏見にまどわされずに、『菊と刀』の文化をすべて統一体として守るには、言論の自由を保障する政体が必要で、共産主義政体が言論の自由を最終的に保障しないのは自明のことである。
 政府は、最後の場合には民衆に阿諛(あゆ)する事しか考えないであろう。世論はいつも身主社会における神だからである。われわれは民主社会における神である世論を否定し、最終的には大衆社会の持って いるその非人間性を否定しようとするのである。では、その少数者意識の根拠は何であるか。それこそは、天皇である。われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである。では、その少数者意識の行動の根拠は何であるか。それこそは、天皇である。われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである。戦後の日本人にとっては、真の民族主義はありえず、在日朝鮮人問題は、国際問題であり、リフュジー(難民)の問題であっても、日本国内の問 題ではありえない。これを内部の問題であるかの如く扱う一部の扱いには、明らかに政治的意図があって、先進工業国における革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならない。
*新潮文庫『裸体と衣装』初版306頁
 敗戦によって現有領土に押し込められた日本は、国内における異民族問題をほとんど持たなくなりアメリカのように一部民族と国家の相反関係や、民族主義に対して受け身に立たざるをえぬ状況というものを持たないのである。(略)従って異民族問題をことさら政治的に追及するような戦術は、作られた緊張の匂いがする(略)左翼のいふ、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかへてゐるが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、日本人が必ずしも歓迎しないにもかかはらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほえおこすやうな北朝鮮人の問題を、無理矢理少数 民族の問題として規定するのである。彼らはすでに、人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなってゐる。そして彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかって、それを革命に利用しようとするほか考へない。たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲ひかかり、たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一願も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまふ。
三島 由紀夫「反革命宣言」より
 私の中の二十五年を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である。
 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、文化ですら。
 私は昭和二 十五年から三十年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われたいた。私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
 この二十五年間、認識は私に不幸しかもたらさなかった。私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。
 なるほど私は小説を書きつづけてきた。戯曲もたくさん書いた、しかし作品をいくら積み重ねても、作者にとっては排泄物を積み重ねたのと同じことである。その結果賢明になることは断じてない。そうかといって、美しいほど愚かになれるわけではない。
 この二十五年間、思想的節操を保ったという自負 は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。思想的節操を保ったために投獄されたこともなければ大怪我をしたこともないからである。又、一面から見れば、思想的に変節しないということは、幾分鈍感は意固地な頭の証明にこそなれ、鋭敏、柔軟は感受性の証明にはならぬであろう。つきつめてみれば、「男の意地」ということを多く出会いのである。それはそれでいいと内心思ってはいるけれども。
 それより気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。否定により、批判により、私が何事かを約束して来た筈だ。政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約 束を、私は果たしていないという思いに日夜責められるのである。その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、という考えが時折頭をかすめる。これも「男の意地」であろうが、それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間を、否定しながらそこから利得を得、のうのうと暮らして来たということは、わたしの久しい心の傷になっている。
 個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私がやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。もともと理解を求めてはじめたこではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、その実践によって、文学に対する近代主義的妄信を根底から破壊してやろう と思って来たのである。
 肉体のはかなさと文学の強靱との、又、文学のほのかさと肉体の剛毅(ごうき)との、極度のコントラストと無理強いの結合とは、私のむかしからの夢であり、これは多分ヨーロッパのどんな作家もかつて企てなかったことであり、もしそれが完全に成就されれば、作る者と作られる者の一致、ボードレール流にいえば、「死刑囚たり且つ死刑執行人」たることが可能になるのだ。作る者と作られる者との乖離に、芸術家の孤独と倒錯した矜持を発見したときに、近代がはじまったのではなかろうか。私のこの「近代」という意味は古代についても妥当するのであり、『万葉集』でいえば大伴家持(おおとものやかもち)、ギリシア悲劇でいえばエウリピデスが、すでにこの種の「近代」 を代表しているのである。
 私はこの二十五年間に多くの友を得、多くの友を失った。原因はすべて私のわがままに拠る。私には寛厚(かんこう)という徳が欠けており、果ては上田秋成や平賀源内のようになるのがオチであろう。
 自分では十分俗悪で、山気(やまつけ)もありすぎるほどあるのに、どうして「俗に遊ぶ」という境地になれないものか、われとわが心を疑っている。私は人生をほとんど愛さない。いつも風車を相手に戦っているのが、一体、人生を愛するということであるかどうか。
 二十五年間に希望を一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であったかに唖然とす る。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。私はこれからの日本に対して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましにに深くする。日本はなくなって、その代りに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残すのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
 
 
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